シラヌヒの木のしたで

関ジャニ∞丸山隆平君とNEWS加藤シゲアキ君のコンビを応援するブログです。

『関ジャニズム』初回B特典DVD内『アダムとイヴ』のMVについて考察しました。


関ジャニズムの感想は、書きかけてるので、とりあえず取り急ぎ、アダムとイヴの考察だけ投げさせてください。
どうしても我慢ができない美の暴力だったので…。
以下、ネタバレしかない、もとい、一度MVを見ていないと理解できない内容となりますことをご了承ください。
尚、深夜にツイッターで思いつくままにつぶやいたものを、色々足してきちんとまとめただけです…。

追記からどうぞ。

 

まず、前提として、
http://ameblo.jp/soul-syndrome/entry-11948303130.html
作曲家さんのブログを読んでわかる通り、
大倉君の要望で『アダムとイヴ』とタイトルを後付しており、作曲家さん自体はアダムとイヴを意識していなかったということです。
曲の歌詞にもストーリーがある、ということで、まず歌詞「のみ」のストーリーは、

すでに他の人のもの、もしくは誰かに奪われるべき存在・立場ではない女性が、自分を「奪ってほしい」ために、男性をセックスアピールで挑発し、罠を敷く。男性は罠だと気づいていながら、その女性は奪うべき相手でないと知りながらも、女性にどんどん深く溺れていく。しかし、女性は奪われることなく、消えてしまう。

ということが読み取れます。作詞・作曲家さんが、アダムとイヴを意識していないことから、MVと擦り合わせることは大変難しいのですが、大倉君が「アダムとイヴ」にしたいと感じ、あのMVをプロデュースしたのであれば、ということからの考察になります。

まず、前提として、歌詞に『アダムとイブのように』とあります。つまり、MVに出てくる女性、横山君、大倉君はアダムでもイブでもありません。
そして、大前提なのですが、『アダムとイヴ』は淫らではありません。決して淫らではありません。
アダムとイヴはカミサマの作った楽園で、裸で過ごしていました。あの果実だけは食べてはいけないとカミサマにの教えられていたにも関わらず、蛇(サタン)の唆しに騙されて食べてしまいます。そして、知恵を得て羞恥を覚え、裸でいることが恥ずかしくなって体を隠し始め、それを見たカミサマが怒り、楽園から追放します。それを人類が初めに犯した罪「原罪」と呼びます。
その後、アダムとイヴはカインとアベルという二人の子供を作ります。……この話のどこが淫らでしょうか?
というより、男性と女性という意識を初めて生み出した、淫らの原初、とでも言うべきでしょうか。

わたしは、この事実から、『逆アダムとイヴ』という仮説を立てました。

MVでは服を着ている状態から服を脱ぎます。それは、服を着ているから恥ずかしくない→服を脱いでも恥ずかしくないということを意味し、アダムとイヴの神話とは逆のことがおきてるんじゃないかなと。アダムとイヴは、服を着ていなくても恥ずかしくない状況から、禁断の果実を食べたことで、服を着ていないことが恥ずかしくなりました。そう、禁断の果実を食べたからです。では、MVにおいての禁断の果実とは。

わたしはそれを女性だと考えました。あの女性こそが「禁断の果実」であり、「禁断の果実を食べた(もとい触れた)」ことで、服を脱いでも恥ずかしくなくなったんでは、と。
歌詞では女性の体を果実になぞらえ「熟れた果実」と称しています。

では、横山君と大倉君はいったい何なのか。
神話では、アダムとイヴは、楽園から追放されています。では逆は何か。「楽園に迎え入れる」ことだと考えました。
禁断の果実である女性は、楽園に迎え入れるべきアダムを探しているのではないか。横山君、大倉君は、禁断の果実に楽園へと迎え入れる罠を仕掛けられた、男性だったのではと。アダムになるかもしれなかった男性。

ただし、曲の最後、禁断の果実は消えていきます。もしかすると、罠だと気づき騙されてしまったから、禁断の果実は、二人の男性をアダムと認めず、楽園には迎え入れず、消えてしまったのかもしれません。


ここまでをまとめると、


男女がはっきりと意識された淫らな世界から、禁断の果実を食べることで、誰も踏み込めない楽園へ誘われる。

これが、歌詞とMVから考察した、わたしの『逆アダムとイヴ』論です。

 

といっても、大倉君があまりよくアダムとイヴを知らなかった、というほうが正しそうですが笑
本当のことなど、誰も知らない!