シラヌヒの木のしたで

関ジャニ∞丸山隆平君とNEWS加藤シゲアキ君のコンビを応援するブログです。

担降り留学


空前のジャニオタが担降りする際の熱を帯びたブログブームですね。
わたしも、いつか言おうと思って心に秘めていた思いを、ブームに乗って書こうと思います。というか、ブームに紛れて忘れ去られてしまいたいのです。
タイトルは『担降り留学』です。
一応畳んでおきます。

 
このエントリはただ『担降り』の話をするのではありません。
確かにわたしは、担降りをしたことがありますが、今回するのはその話ではありません。『留学』の話をします。


まず、わたしにとっての担当の定義とは何か、について。
考えてみたんですけど、これ難しいんですね。
某方が言うように「うちわを持ちたい人」でもないんです。まず、わたしは全員のうちわをもってもいいぐらいの全員への熱量、つまり箱推しできてからでないとコンサートには行きません。
もちろんその誰かひとりを好きになるから箱推しするようになっていくんです。でもその誰かのためだけにお金を出す、ということも基本しません。その担当が存在するグループあっての担当個人だと思っているので、担当だけに特別お金を出すことはほとんどないです(担当が雑誌の表紙だからだとか、ジャニーズショップの写真で担当だけを買う、とか)。担当以外も気に入りさえすればお金を出すので、正直最終的にグループ全員への支出をまんべんなくしています。
一生懸命考えた結果、『傷』なのかなあと思います。わたしの意識に深く傷をつけた人が、担当なんだと思います。曖昧でしょう? その通りです。担当なんて、人によって違って、曖昧なもんです。だから、いつも担当を決めるときには決まった友人がいて、「でこさん○○君のこと話してる時間の方が多いよ」なんて言って、わたしの深層意識の傷を指さしてくれて、踏ん切りがつくのです。今回の担降り留学の時も、そうでした。
また、わたしは1グループ1担当制をとっています。例えば、わたしはNEWSは小山君を担当していて、それは今のところ変わる予定はありませんし、Hey!Say!JUMPを好きになれば、きっとそのうちの誰か一人を担当だと言って過ごすのだと思います。

今日お話しするのは関ジャニ∞についてです。

わたしは、このブログを始めたとき、最初の記事にこう書いています。



関ジャニ∞、NEWSのFCに入っており彼ら二人の大ファンですが、彼ら二人はわたしの担当ではありません。担当はいるのですが、担当についてこのブログで語ることはないので、差し控えさせていただきます。

つまり、差し出がましくもどちらも担当ではない目線から、丸山君と加藤君について考察させていただく旨ご理解いただきたく思います。ですがわたしは二人のコンビ、彼ら個人、そして彼らが所属するグループが大好きです。

 
結局、担当について語ることになってしまいましたが。
わたしは、この記事を書いたその時、NEWSは小山担(今でもそれは変わりません)、そして関ジャニ∞は丸山君ではない別の人でした。
その別の人、とは安田君のことです。

わたしは関ジャニ∞を始めて好きになった時から、安田君を担当としていました。
安田君を知れば知るほど、わたしは何度も何度も彼の魅力というナイフに傷をつけられてきました。丁度、コンサートJUKE BOXの前です。その傷が治りかけて、また新たなナイフが振りかざされるのを、待っていた時期なんだと思います。丁度その時NEWSの小山さんはわたしにガンガン傷をつけてきました。10周年の歓喜の渦中です。
そしてわたしはNEWS10周年の最中、小山さんとは別に『マルシゲ』を好きになります。正直、きっかけはあまり覚えていません。必死にMyojoを集め、あんな記事を書くほどにはどっぷりとマルシゲに浸かりました。ただし、わたしにとって、担当とコンビ萌えは全くの別物で、今までも担当と好きになるコンビが重ならない事は、他のグループでも往々にしてありました。これは説明しにくい感情で、理解されないこともありますが、それは『そういうものだ』と思ってくれるとうれしいです。
わたしは、関ジャニ∞の中で、丸山君が一番難しい人だと思っていました。もちろんわたしはその時担当でなくても丸山君のことが好きでしたが、おもしろいだけの丸山君でないことは分かっていても、それ以上踏み込ませてくれない彼に「一体何者なんだろう?」と思っていた節がありました。
それが『マルシゲ』を好きになることで、彼の糸口が見えたのです。踏み込ませてくれなかった線引きの先に、勝手に行けた気になって、どんどん彼のことを勉強しました。『マルシゲ』を好きになることは、丸山君の勉強のようでもありました。
そして、JUKE BOX名古屋公演で初めて見た『ビースト!!』の演出。大画面に映るのは、スーツに眼鏡姿で乱闘、そして女の人に迫る丸山君の姿。
これにわたしは大きな傷をつけられてしまったのです。そして、JUKE BOXは二回見たのですが、その二回目も丸山君ばかり目が追いかけてしまっていました。
安田君がナイフを翳す前に、丸山君に刺されてしまいました。
そんな瀕死の状態だったにもかかわらず、その状態を『迷子』と称してしばらく過ごしていました。正直、その時すでに担当のようなもので、丸山君の勉強をいっぱいしました。
初めて丸山担を名乗ったのが、twitterアカウントを作った時です。わたしはこういうものだ、という意思表示として、ジャニオタはbioに『担当』を載せるべきだと思ったのです。
そこではじめて、わたしは『エイトは丸山君が好きです』というような言葉を書きました。そう書くよりないな、と思ったと同時に、それより前から、わたしは丸山君に心変わりしていました。これはいわゆる「グループ内担降り」をしたんだな、と思っていました。

twitterで丸山担の方をたくさんフォローして、もっともっと丸山君のいいところ、わたしじゃ気づかなかったようなこともたくさん知って、今迄どこかぼんやりしていた丸山君象がきちんとできあがったちょうどそのころです。関ジャニズムのコンサートがありました。
わたしがずっとずっと見たいと思っていた、『アイライロ』を歌う安田君を目の当たりにしました。落雷に撃たれたようなショックでした。
そうでなくても関ジャニズムは最高のコンサートでした。札幌駅からバスに乗って、「で、どうだった?」と一緒に入った友人に聞かれた時、「明言するのは待ってほしい」と言いながら、「安田様かっこよかった」と何度も口にする自分がいました。口にしながらも、「たった一年でお前は気変わりするような、お前はそんな女だったのか」ともう一人のわたしが言ってるんですよ。心のどこかで。

バスが駅について、ご飯を食べようと寿司屋に行ったらおんなじこと考えているコンサート帰りの色とりどりの関ジャニ∞ファンであふれていて、一時間半待ち、といわれた私たちは、じゃあ待ってる間にアイスを食べよう、と隣のアイスクリーム屋さんに腰を下ろします。
「わたしやっぱり安田様が好きなんだよ、どうしよう」みたいなことをぐずぐずと言った気がします。そう言うと、一緒に入った友人が言います。

「でこさん、マルちゃんに留学してたんじゃない?JUKE BOXから今まで。だから今留学から帰ってきて、お米がおいしいんだよ」

意訳ですが、こんなかんじのことを言っていた気がします(こんなこと言ってないよ!って、もしみてたらごめんね)。
この言葉で、踏ん切りがついたんです。わたし安田担に戻ろう、と。
この一年、丸山君を一生懸命に勉強しておいかけてかけぬけた留学は、本当に楽しかったし、今まで丸山担の方とあんまりお話したこともなかったので、それこそ異国のようで新鮮でした。異国の地で異国の文化や言葉を吸収するような一年は、確かに留学のようでした。
bioは書き換えました。『関ジャニ∞が好きです』と。

わたしは今後も丸山君が大好きです。留学して、丸山君への「好き」を大量に摂取しました。ただ安田君のナイフがそれより深く刺さってしまっただけです。丸山担の方とも、変わらず仲良くしたいと思っています。そうじゃない方もいるかもしれませんが、それならしかたないな、と思います。
留学なんて失礼だ、一年で担降りなんて、とこの記事を読んで思われたかもしれません。そう思われるだろうな、と思って今までずっと黙ってきました。それでも書かずにいられませんでした。ずっと黙ったままってもしかしたら失礼なんじゃないかなあ、なんて思ったのです。
担降りしたからといって、今まで通りマルシゲは大好きです。マルシゲを好きになった当初、安田担だったのですから、その時に戻っただけです。

最後に。
この記事を書いて、担当ってなんなんだろう、とさらに疑問を深めるに過ぎない結果になりました。今わたしは安田担です。確かにそうなのですが、今後twitterやブログで『自担』だとか、そういうことを明言する話はしなくなります。たぶんですが。
だってわたし、自担とか関係なく、関ジャニ∞が大好きなんです。ジャニーズが好きなんです。アイドルが大好きなんです。
長々と書いたのですが、結局わたしは、ジャニーズが好きなだけの、ただのオタクです。