シラヌヒの木のしたで

関ジャニ∞丸山隆平君とNEWS加藤シゲアキ君のコンビを応援するブログです。

「花束を君に」に寄せて(気持ちの整理)

ジャニオタのブログだけど、今回は全く関係のない、本当に、私的な記事です。ほかに何のブログもやっていないし、ここに乗せるしかないから、書きます。

「花束を君に」、という宇多田ヒカルの曲がある。
ふとTwitterを見たら、なんだかあらゆる場所で話題になっているようだった。どうやら、『Fantôme』というアルバムが発売になったことで、CDという媒体に「花束を君に」残ったことがきっかけのようだった。いや、その発売に際してテレビ番組に出演したこともきっかけのうちなのかもしれないけれど、そのあたりのことは詳しく知らない。
はてな匿名ダイヤリーやはてなブログを読みながら、mora(walkman公式ミュージックストアのこと)でこの曲を購入した日のことをおもいだしていた。四か月くらい前のことだ。母の葬儀でこの曲をかけた。

先に言っておくけれど、前述で話題になっているテーマとして「自死遺族」というワードがあるが、それについてではない。母は病気だった。ただ、わたしがこの曲のことを思い出したことで、四か月の気持ちの整理がしたくてブログを書いているに過ぎない。いつかは気持ちの整理のために書きたいと思っていたことだったから、いいきっかけ、というだけだ。
気持ちの整理がしたいだけだから、べつに誰に共感されたいわけでも同情されたいわけでもないのだけれど、いつかは忘れてしまうから書き留めておく。


母は「とと姉ちゃん」を見ていた。ちょうど四月に一か月ほど自宅療養をしているとき、録画を見ていたのを覚えている。わたしはどうしても「とと姉ちゃん」の内容が好きになれなくて、自室にこもって曲を聴いて耳をふさいでいた。
母は朝ドラをみていない時期があったので(「純と愛」「マッサン」「まれ」は興味がないらしくみていなかったのを覚えている)「とと姉ちゃんなんで見始めたの?」と尋ねたことがある。「見るつもりなかったんだけど、宇多田ヒカルのオープニング曲がよくって、それで見始めた」と言っていた。

「運転が好きなわけじゃない」と言いながら、旅行が好きで遠くでも運転していた母を助手席に乗せながら、カーオーディオをラジオに切り替える。普段はBluetoothを使うことができない古いカーオーディオにジャニーズのCDを突っ込んで聞いているけれど、母がいい顔をしないので、母が助手席に乗るといつもラジオに切り替えていた。いつも聞くのは、アイドルがかからないZIP-FM(名古屋の放送局。局の方針でアイドル曲はほとんどかからない)だった。

「最近よくかかるね」「今日だけで三回聞いたよ」と、当時配信されたての「花束を君に」は、よくZIP-FMでもかかっていた。何度かかっても母は嬉しそうだった。
よくおぼえているのは、何度目かの「花束を君に」のあとにラジオDJとして話していた鉄平さんの声だ。
「この曲、別れの曲なんですけどいろんな解釈があるみたいで。死別の歌ともとれるらしいんですよね」
正直、わたしは前述のとおりドラマを見ていないから歌詞を見たこともなかったし、運転しながら歌詞を考えたこともなかった。
母がそれを聞いていたかわからないし、母が歌詞の本当の意味を理解していたかは、今となってはわからない。

母の死は覚悟していた。余命宣告はされていたけれど、どこかで「まだずっと生きていてくれる」と思っていたし、そのくせ「もう長くない」と理解してしっかり覚悟していたらしくて、ほとんど狼狽しなかった。さすがに、朝の四時に病院から電話がかかってきて車を走らせたときは、心臓がすごく早く動いて、なんどお茶を飲んでも口が乾いたから、うろたえていたんだとは思うけど。あの時の口の渇きはまだ忘れられない。
親族には誰にも連絡しないまま(というのも、母の介護の悩みを聞いてもらっていた、このブログでもよく出てくるわたしの一番の理解者であかりしゃんにだけは、一番に連絡したのだ)、葬儀会社に連絡して、全部を一人で決めてから、連絡した。母の葬儀は自分で全部決めたかった。誰にも口を出されたくなかった。
母が生前「お坊さんを呼ぶと大変だから無宗教でやるんだよ」とよく言っていたので、その通りにした。「こういう田舎は、お坊さん呼ばないといろいろ言われるけど大丈夫?」と葬儀会社の人に言われたけれど、気持ちは変わらなかった。確かにその通りで親族にいろいろ言われたけれど、「母の生前の意向」と何度も繰り返し言った。
無宗教だからと、祭壇をピンクで明るくしてもらった。母は明るい花が好きだった、花見が大好きで春になると浮足立つほどだったから。出棺前にはこの花を切って献花することになった。
「お坊さんを呼ばないと、静かになってしまうから、何かかけたい曲とかあれば用意しておいて」と言われた。そのときは全く思いついていなかったけれど、ふといつだったか、「花束を君に」のことを思い出した。調べたら、CDにはなっていないらしくて、一瞬諦めたのを覚えている。
一旦自宅に帰って、葬儀でかける曲を母のパソコンに残ったデータから選んで、CDに焼きこんでいたとき、「そうだmoraで買えばいいんだ」と気が付いた。わたしはwalkmanを長年使っているけれど実はほとんど曲を買ったことがない(ジャニーズは音楽配信しないから)。
結局、ユーミンがめいっぱい詰まったCDと、「花束を君に」がたった一曲だけ入ったCDを持って葬儀会場に帰った。「献花の時にかけて」とわたしたCDを見て「かけたいっていってたもんね、みつかってよかったね」と葬儀会場の人が声をかけてくれた。

本当に献花になったらユーミンから「花束を君に」に変わって、なんだかすごく気恥ずかしかった。
「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」という始まりは本当に母にぴったりな歌詞だった。母は普段、ほとんどメイクをしない人で、冠婚葬祭くらいでしかメイクをしないから、わたしのメイクは全部インターネットに教わった。納棺師の方に「お化粧どうしますか、きれいな顔されてますけど」と言われて「母普段ほとんど化粧しないひとだったから、顔色が良くなる程度にしてください」と頼んだ時、歌詞の意味に改めて気づかされた。
だからこそ、本当に気恥ずかしかった。「愛おしい人」と母に伝えることは、わたしにとってとても恥ずかしいことだった。
母が「とと姉ちゃん」を見ていた、自宅に帰ってきていた一か月、母はわたしにことあるごとに「好きだよ」「愛しているよ」と言ってくれていたけれど、わたしは「わたしもだよ」とは言ったかもしれないけれど、わたしから「愛している」なんてとても言えなかった。
あの日、出棺のために外に出ると、朝は降っていなかった雨が降っていた。まさに涙雨だね、なんて言ったのを覚えている。焼き場の待合室のテレビで昼の「とと姉ちゃん」がやっていて、祖母が「あの曲すごくよかったね」と言ってくれた(ただ、そのあとしばらくオープニングを見ると思いだして見れなくなった、とも言っていた)。葬儀場に帰ると、葬儀会場の方が「あの曲本当にいい曲でしたね」と言ってくださって、かけてよかったなあ、と思った。「いい式だったと伝えてください」と言伝を頼んでくださった母の友人の方の言葉に「いい式だったって思っていいんだなあ」と気づかされて、わたしはあの葬儀を「いい式だった」と思っている。それは「花束を君に」の力が大きい。


話は変わるけれど、先日、夢を見た。雨が降っていて体が重たくて、昼寝をしていた時だった。
母が夢に出てきた。以前夢に出てきたときは全くリアリティのない夢で笑ってしまったけれど、今度はものすごいリアリティが体を襲っていた。
夢の中で、実際の部屋の内装そのまま、母がいつも通りソファに座っていた。今思えば母が亡くなった後もう捨ててしまったソファだけれど、そこに本当にリアルに座っていた。
「なんでいるの?」と尋ねたら「勝手に殺さないでよ」と言われた。夢なのに「目覚めたら母はいなくなる」「この夢を見るのは二度目で、前の続きだ」とすぐわかった。ただ、その「一度目」の夢は覚えていない。笑ってしまった夢とは別の夢だ。
母に後ろから抱き着いたら、本当に肌があったかくて、その肌の温かさをまだ腕が覚えている。
夢の中でもなかなか言い出せなくて、口をもごもごさせて、言うかすごく悩んだけれど、「ずっと言えなかったけれど、わたしも好きだったよ」と伝えた。どうしても母の生前言えなかった言葉だ。
「それ、前も言ってくれたよ」と母は返した。「そうだったかな」と返事をしたけれど、言った覚えはない。どうしても言えなかった。葬儀の時でさえ言えなかった。
起きてから、あんまりリアルで、思わずあかりしゃんにLINEした。「母って死んだよね?」と。自分が焼き場で焼いたはずなのに、夢と現実のはざまでぼんやりとしていた。
あの後、お彼岸だったことを忘れていたことに気が付いて、お墓に行った。まだ母はお墓に入れていないのだけれど、母は父のお墓を大事にしていたから、「パパに会いに行きなさいよ」ってことだったのだろうな、と思った。

それでもずっと夢の中の母の言葉に引っ掛かりを覚えていたけれど、このブログを書きながら、「そういうことだったのかなあ」と思うことができるようになった。あの曲で、わたしの母への愛しさが、母に伝わっていたっていうなら、あの曲に感謝したい。

母とわたしは仲が良かった。週末はどこへでも一緒に行った。でもたくさん言い合いもしてけんかもした。母の余命宣告があったあとも、けんかはよくしたし、介護を献身的にやれていたかというとそうではなかった。どうしてわたしがこんなことしなきゃいけないんだろうと思ったこともあったし毎日愚痴ばかりだった。ひどい娘だなと思う。それでも大好きだった。なのにどうしてそれが言えなかったのか、一生懸命理由を考えてみたけれど、やっぱりわからない。わからないけど、伝わっていてよかった。

四か月たってみて、いまだに実感がわいていないのかそれとも覚悟ができていただけなのか、それともわたしの感情の起伏が少ないからなのか、泣いて過ごした日は葬儀を終えて一日もない。といっても、私以外に死後の片付けをできる人がいないのだから、やるよりない、泣いてもいられない。わたしがしっかりしないといけないというのが大きいのだけれど。
母が亡くなっても変わらず太陽は登って沈むし、母のものへの未練もほとんどなくてほとんど捨ててしまったし、自担は毎日可愛いし、友達と食べるご飯はおいしいし、新しい仕事は決まったし、毎日笑って過ごせている。そんなわたしを見て、母は生前みたいに「冷たいなあ」ってすねるんだろうけど。

言葉にするのはやっぱりどうして恥ずかしいから、アルバムを買って聞こえるようにリビングでかけてあげるから、それで許してね。